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とにかく全力で駆け抜けてきました。2年という時間も、あっという間に過ぎた、いや、いろいろありすぎて、とても長かったようにも感じます。でも、次にやらなければならないこと、やり遂げたいことばかりを考えていますから、まだまだ走り足りていないようですね。
いろいろあります。福島国際研究教育機構(F-REI)ができて、水素連携話し合いのためアメリカにも行きました。特定復興再生拠点の避難指示解除や特定帰還居住区域の住民説明会など、帰還困難区域の住民の方々と膝を突き合わせてお話しができたことも印象に残っています。
嬉しいこととしては、子どもの数が増えていることがあります。現在、にじいろこども園、浪江創成小学校、中学校合わせて100人以上の子ども達がおり、今後も増える見込みです。さらなる教育環境充実のため、教室を増築することを検討しています。子どもは町の宝です。町長として、子ども達の笑顔を守っていく、その責任の重さも実感しています。
今年3月「浪江国際研究学園都市構想」を発表しました。構想を具現化していくことで、浪江の子ども達と海外から来た子ども達が、同じ学び舎で机を並べ、この地域が経験してきた歴史を教材として学べる環境を作っていきたいと思います。
この地域で学んだ子ども達が、森のようにつながり、豊かな個性を茂らせて広がっていくことを願っています。
多くの課題がありますが、医療、福祉の充実は大きな課題です。昨年から、ようやく小児科の診療が開始となり、調剤薬局の開業も実現しました。小児科については、オンライン診療を併用することで一定程度の成果がでていますが、専門医など充実は広域的な協力も必要だと思っています。決定した情報でなければ、なかなかお話しすることができないのですが、当面の双葉郡の医療体制は、県立大野病院を中心として考えていくことになると思います。
まだもう少し町民の皆さんにはご不便をおかけすることになりますが、これからも町内の生活環境が充実していくよう、関係各所とともに知恵を絞り、汗をかいていきます。
「農業」の復興に力を入れていきます。カントリーエレベーターに続いて、育苗施設も完成し、各地区ではほ場整備も進み始めました。少しずつ農業に取り組む環境が整ってきていると感じています。
原発事故の除染作業によって、我々の先祖が心血を注いで育んできた「土」が、表土約15センチにわたってはぎ取られてしまいました。私も農家ですから、これは本当に悔しかった。でも、嘆いているばかりでは前には進めませんから、考え方を180度変えることにしました。
日本で農薬が使われ始めて100年余りでしょうか。日本全国で、これほど大規模に表土を入れ替えた農地は他にありません。無農薬栽培や有機栽培が注目される現在、表土を入れ替えたという事実を強みに変えて、農業を復興させていきたいと考えています。町には、約2000頭が飼育される「(仮称)復興牧場」の整備がはじまっていますから、ここから出る牛糞などをたい肥として利用し、家畜の餌となる作物のほ
か、米や野菜などを作り、循環型農業で「耕畜連携」を実現させます。
また先日、小野田にてサケふ化施設建設工事の安全祈願祭が執り行われました。実際にサケの稚魚を放流し、遡上してくるまでには時間がかかりますが、「漁業」に関しても、また一歩前進することができたと思います。
町では、多くの歴史的事業が進んでいます。また昨年、町内に国が主導する世界的研究機関である「福島国際研究教育機構」が設立されました。そして、これから水素の実用化に向けた取組みや、駅前の再開発事業など、世界中から多くの人々が浪江町を訪れるようになります。
交流人口が増加し、一層、町内に賑わいが戻れば、個人商店などの事業者の中にも戻ってきていただける方が増えてくるのではないかと期待しているところです。
今も、「避難先で淋しい思いをされている方々がいるのではないか」と考えてしまいます。また、変化していく町の様子に、少し寂しい思いをされている方もおられるかもしれません。そうした町民の皆さん一人一人の気持ちに寄り添いながら、これからも町長としての責務を果たしていきたいと思います。
遠くに避難されていたり、ご高齢でなかなか浪江に来ることができない方々にも、いまの町の様子を知っていただくために、広報やホームページなど、町の状況を発信することにも力を入れてまいりいます。
必ずふるさとを再興してみせますから、これからを楽しみにしていてください。町民全員に素晴らしい浪江の姿を見て欲しいです。
それまで皆さん、お身体を大切に、どうぞお元気でお過ごしください。
令和6年8月吉日
浪江町長 吉田 栄光