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浪江町の歴史2(現代から東日本大震災以前)

明治22年の町村制施行により誕生した浪江村は、明治33年に浪江町となり、昭和28年10月に請戸村・幾世橋村と合併、次いで昭和31年5月1日に大堀村・苅野村・津島村と合併して、現在の浪江町が誕生しました。

合併当時の広報誌

 希望に満ちた新・浪江町の創世記(昭和31~40年/1956-1965)

新しい組織のもとで運営されることになった浪江町。昭和35年に財政再建準用団体の指定を受けたものの2年後には赤字を解消し、この間、水道事業に着手して現在の水道事業の礎を築くなど、インフラ施設、教育施設、社会体育施設等の充実に努めた時期です。昭和37年に定められた町章は、融和団結を表現し、1町5か村の飛躍発展を象徴しています。

昭和31年 1956 5月 浪江町、大堀村、苅野村、津島村の1町3村が合併し、現在の浪江町となる
昭和33年 1958 4月 中野および中浜、両竹の一部を双葉町に編入
昭和35年 1960 5月 チリ地震の津波の影響が請戸にも現れる
昭和36年 1961 5月 浪江町上水道の通水開始
昭和37年 1962 3月 上水道の一部供用開始
    7月 浪江町の町章制定
昭和38年 1963 5月 「なみえ町政だより」創刊(42年に「広報なみえ」へ改称)
昭和40年 1965 11月 町民第一体育館が完成

 合併当時の町議会議員

(写真:昭和31年5月、合併当時の浪江町議会議員)

旧役場庁舎 旧津島村役場

(写真:(左)旧浪江町庁舎と(右)旧津島村役場)

高度経済成長が続き、町の基盤整備が進む(昭和41~50年/1966-1975)

国道6号、114号の全面舗装完了、大柿ダムの建設決定、国土調査事業開始、老人いこいの家「やすらぎ荘」完成、双葉地方広域市町村圏組合発足など、町の地域振興、人づくりの柱として町の核となる施設整備が進められました。昭和46年には台風23号の来襲で大きな被害を受けましたが、その後も町は発展を続け、49年には第一次浪江町町勢振興計画が決定しました。

昭和41年 1966 9月 浪江小学校校舎が一部焼失
    12月 浪江小学校校舎の新築工事が着工
昭和42年 1967 4月 日立衛生工場・浪江電工株式会社の浪江工場が開所
    5月 原子力発電所の誘致を決議
昭和43年 1968 7月 大和電線工業株式会社・福島工場が操業を開始
昭和44年 1969 3月 浪江町公民館が完成
    5月 アルプス電気株式会社・浪江工場が操業を開始
    5月 浪江町商工会館が完成、業務開始
    5月 浪江町消防団常備部の新庁舎が完成
昭和45年 1970 2月 請戸小学校の新校舎が落成
    3月 浪江・大堀・苅野の各中学校が浪江中学校に統合
    7月 請戸漁協と浦尻漁協が合併
昭和46年 1971 4月 浪江救護員が開院
    9月 台風23号来襲、被害十数億円
    9月 大堀相馬焼協同組合が設立
昭和47年 1972 4月 双葉地方広域市町村圏組合が設立
    4月 大堀幼稚園を開設
    6月 請戸漁業協同組合事務所が落成
    7月 国保津島診療所が開所
    10月 双葉広域消防本部設置、浪江消防署・富岡消防署が開署
    12月 津島田植踊りが福島県重要文化財に指定
昭和48年 1973 4月 苅野幼稚園を開設
    11月 浪江統合中学校校舎・体育館・プール完成、記念感謝祭
昭和49年 1974 3月 第一次浪江町町勢振興計画が決定
    4月 幾世橋中学校と請戸中学校が統合、東中学校スタート
    4月 津島保育所が完成
    4月 大柿ダム着工
    8月 老人いこいの家「やすらぎ荘」オープン
昭和50年 1975 3月 津島公民館が完成
    7月 苅野幼稚園が完成

 自動電話開通

(写真:昭和42年、浪江電話局ダイヤル式自動電話の開通記念式典)

昭和48年頃の十日市

(写真:昭和48年頃の十日市)

地域開発と生活の向上を目指して(昭和51~60年/1976-1985)

財政再建の苦難、昭和55年の冷害・豪雪害を乗り越えて、交通網の整備、文教施設の整備、下水道事業の推進、産業の振興と幅広い事業の充実が町民の皆さんの生活向上につながり、浪江は双葉郡の中心的役割を果たすまでに発展しました。また、「浪江町に香り高い芸術、文化を」との声で浪江町芸術文化団体連絡協議会が発足し、広く町民が豊かな文化生活に浴する足掛かりとなりました。

昭和51年 1976 1月 浪江駅舎落成式
    4月 東中学校の新校舎が完成
    4月 大堀幼稚園が完成
    6月 浪江町民憲章を制定
昭和53年 1978 2月 大堀相馬焼が伝統的工芸品に指定
    4月 福島県浪江保健所が完成
    4月 エスエス製薬福島工場が操業開始
昭和54年 1979 2月 福祉バス「さちかぜ号」運行開始
    2月 公民館請戸分館が完成
    3月 公民館幾世橋・苅野分館が完成
昭和55年 1980 4月 双葉地方母子寮「白梅荘」オープン
    8月 浪江小学校校舎が完成
    9月 「80冷害」農作物被害のため冷害対策本部を設置
    12月 豪雪に見舞われ、8.7億円の被害
昭和56年 1981 4月 浪江町児童館が完成
    7月 「いこいの村なみえ」オープン
昭和57年 1982 2月 浪江の木(松)・花(コスモス)・鳥(かもめ)決定
    3月 高瀬野球場・幾世橋グラウンド完成
    5月 浪江町芸術文化団体連絡会議が発足、第1回総会
昭和58年 1983 2月 国民体育館の落成式
    5月 大堀民芸会館オープン
    9月 第2次町勢振興計画を決定
昭和59年 1984 2月 第1回町民駅伝競走大会
    3月 統合津島小学校校舎が完成
昭和60年 1985 3月 雇用促進住宅が完成

大柿ダム定礎式

(写真:昭和55年、大柿ダム定礎式)

町民駅伝競走

(写真:昭和59年、第1回町民駅伝競走)

昭和から平成へ、町民の地域おこしで活気あふれる(昭和61~平成7年/1986-1995)

浪江町が活気づくきっかけとなったのが、昭和63年、町民の手づくりによる祭り「サマーフェスティバルインなみえ」の開催でした。平成元年、台風13号で高瀬川堤防が決壊し、市街地も床上浸水となる大災害となりましたが、同年には第1回ふくしま駅伝で浪江町が町村の部で優勝、浪江小ジュニアバレーボールクラブの県大会優勝、浪江高、浪江中、東中のソフトボール部が相次いで全国大会出場を決めるなど、スポーツ面での活躍も目覚ましいものがありました。

昭和61年 1986< 8月 「8.5豪雨」被害総額9億8228万円
昭和62年 1987 4月 福島県沖地震 被害総額7656万円
    5月 井手山林火災で自衛隊出動を要請
    6月 第1回日山(天王山)山開き
昭和63年 1988 7月 国道114号昼曽根バイパスが開通
    7月 「サマーフェスティバルインなみえ'88」開催
平成元年 1989 1月 町民第二体育館・浪江公民館図書室オープン
    4月 加倉運動公園が完成
    4月 大柿ダム供用を開始
    8月 台風13号で高瀬川決壊の大災害、被害総額37億円
    11月 勤労者総合福祉センター「サンシャイン浪江」オープン
平成2年 1990 4月 浪江町シルバー人材センター発足
平成3年 1991 1月 国保津島診療所が完成、診療開始
    3月 幾世橋小学校新校舎が完成
    4月 防災行政無線システムの運用開始
    9月 公共下水道の一部供用開始
平成4年 1992 1月 浪江日本ブレーキ株式会社の操業開始
平成5年 1993 1月 津島診療所内に歯科診療所を開設
    7月 大堀小学校の新校舎が完成
    8月 記録的低温により対策本部設置、戦後最大の冷害
    12月 第3次浪江町長期総合計画を決定
平成6年 1994 4月 国道114号昼曽根トンネルが開通
    4月 北部衛生センター焼却炉施設が落成
    4月 「マリンパークなみえ」オープン
平成7年 1995 2月 役場庁舎建設に着工、安全祈願祭
    7月 浪江町国際交流協会が設立
    10月 東邦レーヨン株式会社浪江工場が閉鎖

 平成元年台風13号災害

(写真:平成元年、台風13号による被害)

マリンパークなみえオープン

(写真:平成6年4月、マリンパークなみえオープン)

新たな視点に立った町づくりの展開(平成8~22年/1996-2010)

平成8年11月、町のさらなる発展と町民サービスの一層の向上を図るため、役場庁舎を新築しました。常磐自動車道の延伸計画に伴う国道114号拡幅改良など幹線道路網の基盤整備をはじめ、電源開発との共生による産学官構想(企業・大学・研究機関の誘致)、請戸漁港を機軸にした活魚直売施設の新設など新たな町づくり、豊かな自然と調和した自立的な地域づくりの計画を進めました。また、「協働のまちづくり検討委員会」を設けるなどして、町の課題を町民参加型で話し合い解決していく町政を目指しました。

平成8年 1996 4月 ふれあいセンターなみえ運動公園オープン
    4月 中国興化市と友好都市締結
    11月 役場新庁舎が落成
平成9年 1997 4月 福島県浪江ひまわり荘が落成
平成10年 1998 1月 「加倉大橋」が完成、渡橋式
    2月 原浪トンネル貫通式
    2月 「ふれあいセンターなみえ」オープン
    3月 請戸小学校の新校舎が完成
    5月 双葉精器株式会社浪江工場が開所
平成11年 1999 2月 国有林山林火災発生(室原地内、三程林道沿い)
    2月 浪江町商工会館が落成
    10月 天皇・皇后両陛下行幸
平成12年 2000 3月 コスモス保育園、子育て支援センターが落成
    4月 県道原町浪江線、原浪トンネル開通
    5月 高齢者住宅「しらうめ荘」オープン
平成13年 2001 4月 アクセスホーム「さくら」オープン
平成14年 2002 4月 「陶芸の杜おおほり」オープン
    10月 浪江郵便局舎が落成
平成15年 2003 6月 なみえe-まちタクシー「ぐるりんこ」運行開始
    8月 浪江町小高町合併協議会を設置
    10月 相双地区の7漁協が合併、相馬双葉漁業協同組合に
    12月 新町ふれあい広場が完成
    12月 浪江町小高町合併協議会を解散
平成16年 2004 4月 浪江町パークゴルフ協会を設立
    7月 浪江町観光協会を設立
    9月 双葉精器株式会社浪江工場が閉鎖
平成17年 2005 4月 つしま活性化センターが開所
    9月 第4次浪江町長期総合計画を決定
平成18年 2006 3月 「高瀬川・請戸川流域地域づくりの会」発足
    4月 精神障がい者小規模作業施設「コーヒータイム」開設
    5月 合併50周年、式典はじめ様々な記念行事を開催
    12月 「観光フェスティバルin 浪江」開催
平成19年 2007 1月 「浪江町地域新エネルギービジョン」策定
    1月 津波ハザードマップ策定
平成20年 2008 10月 国の原子力総合防災訓練が福島県で初めて実施
    11月 なみえ焼そばを通じたまちおこし団体「浪江焼麺太国」が設立
平成21年 2009 4月 全国瞬時警報システム(Jアラート)の運用開始
平成22年 2010 2月 「ふるさと浪江会」設立
    2月 津島保育所が落成
    6月 協働のまちづくり検討委員会が発足
    11月 「東北四大やきそばサミットinなみえ」開催

天皇皇后両陛下行幸

(平成11年、天皇・皇后両陛下行幸)

パークゴルフ場落成

(平成16年、なみえパークゴルフ場落成)

▽浪江町の歴史1(古代から昭和中期)はこちら

▽浪江町の歴史3(東日本大震災後から一部避難指示解除)はこちら

▽浪江町の歴史4(復興創生期)はこちら

▽浪江町の歴史5(第二期復興創生期)はこちら

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