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福島県浪江町(なみえまち)は、福島県浜通り(沿岸部)の北部に位置し、双葉郡に属します。明治22年の町村制施行により誕生した浪江村は、明治33年に浪江町となり、昭和28年10月に請戸村・幾世橋村と合併、次いで昭和31年5月1日に大堀村・苅野村・津島村と合併して、現在の浪江町が誕生しました。浪江町は、海、山、川に囲まれ、豊かな自然を誇り、大堀相馬焼やなみえ焼そばといった名産品でも有名です。
平成23年3月11日の東日本大震災は、福島、宮城、岩手を中心とした東日本全体に甚大な被害をもたらしました。福島県では、東京電力福島第一原子力発電所の事故のため、双葉郡の市町村の住民は避難を余儀なくされ、浪江町21,000人の町民は全国に散り散りになりました。その後、浪江町内の避難指示が継続する中、除染やインフラ復旧、生活基盤の再生が進められました。平成29年3月31日には、一部地域の避難指示が解除され、一部地域での居住ができるようになるなど、復興に向けた取組が進められています。一方、現在も多くの町民が福島県内外での避難生活を余儀なくされていますが、令和4年9月より特定復興再生拠点区域では準備宿泊を開始、立入規制が緩和されるなど、令和5年3月の避難指示解除を目指し、着実に復興を進めています。
なみえ復興レポート令和5年3月版 [PDFファイル/7.87MB]
平成23年3月11日の東京電力福島第一原子力発電所の事故により、町内全域に出されていた避難指示は、平成29年3月31日、「帰還困難区域」を除く区域で解除されました。
浪江町内は、平成25年4月に空間放射線量が低い順に、A避難指示解除準備区域、B居住制限区域、C帰還困難区域が指定され、A・B区域では日中の立入りが可能となりました。それ以降、A・B区域については、除染・インフラ復旧・生活基盤の再生を集中的に進めた結果、平成29年3月31日に避難指示が解除されたものです。C区域については避難指示が継続しているため、引き続き居住できません。
福島第一原子力発電所から浪江町までの距離は、最も近いところで約4km、浪江町役場までは約8km、津島支所までは約30kmです。
A区域にある浪江町役場の付近の空間放射線量は、およそ0.1マイクロシーベルト毎時です。
被災前、A区域の人口は全体の約4割を占めていました。このA区域を当面の町の「復興の核となるエリア」として、まちづくり整備を進めています。
浪江町役場の機能の大部分は、平成29年4月1日より元の役場本庁舎に戻っています。
避難指示が継続するC区域についても、「特定復興再生拠点区域」を設定して国による除染、インフラ復旧を進め、令和4年9月より準備宿泊を開始、立入規制が緩和されるなど、令和5年3月の避難指示解除を目指し、着実に復興を進め、将来的に帰還できる環境づくりを目指します。
解除までの歩みについてはこちらをご覧ください。
東日本大震災当時の人口は、約21,500人でした。現在の住民登録数は約15,750人です。
浪江町内には約1,900人が居住しています。その他の町民は、現在も町外での避難生活を続けています。避難先は福島県内が約7割、県外が約3割(45都道府県)です。町は、町民の交流や戸別訪問を通じて、生活再建を支援するため「復興支援員」を福島県内外に配置しています。
令和3年10月に実施した住民意向調査では、「戻りたいと考えている」が11.4%、「まだ判断がつかない」が24.9%、「戻らないと決めている」が52.4%となっています。